長女:お姉ちゃん
次女:よっちゃん
三女:さまちゃん
これから綴っていく物語(ストーリー)は、主人公のまーちゃん(母)が認知症暦15年のベテランの域に達し、それでものんびりほっこり過ごしている日常です。
介護福祉士の資格を持つ長女お姉ちゃんの目線の「まーちゃん日和(仮題)」ブログは、名前以外はノンフィクションです。少し誇張する表現もありますが日常に起こるちょっと笑える日記の抜粋です。
近年、超高齢化社会におけてどう向き合いどうつきあっていくのか、当の本人や周りの家族にとっては大きな課題の一つです。実際介護の現場では大変な思いをされたり、真剣に悩んだりしている話もたくさんあります。認知症高齢者の介護はこうしなくてはいけないとか、こうすべきということを語つ予定はありません。
私や妹たちが認知症の母を受け入れ、向き合って、楽しく向き合っていることを日記として綴るものです。温かく見ていただければ幸いです。
私たちの母まーちゃんが「もしかしたら認知症?」と思い始めたのが15年ほど前。当時はまだ認知症、アルツハイマーなどは言葉の方が先に歩いていてみんなが色々な見解を述べていてどれがいいのか、正しいのかわかりませんでした。病院行くなら何科に相談すればいいのか?何を基準に判断すべきか?当の本人にはどう説明をして病院に行けばいいのか?ネット検索しても、情報も乏しく、ようやく見つけてもその人の見解であり立場や状態も違いがあるため、自分の母親には合わないものだったりで不安ばかり募り、病院もあちこち回ってそれでもはっきりした治療も見つからずに精神的にも肉体的にも疲れていました。
そもそも【認知症】って線引きも今ほどはっきりされてなかったと記憶します。
何度も繰り返す母まーちゃんの話に「ん??」と疑問を持ちながらも、テレビなどで聞く「認知症」を自分の母にまさかおこっていることとは思ってもいませんでした。
だから、ついさっき言っていたことを全く同じ表現で繰り返し聞いてくることには、
私:「えーーー、さっき全くおんなじこと言っていたよ」と厳しいことを言い放ち、やっておいてねとお願いしたことを忘れた母には、
私:「えーーーーなんでー?!、ちゃんと言ってあったのに」とおもむろに本人の目の前でがっかりする素振りをしたりしていました。
今思えば、【認知症】という病気のせいで本人は全く悪気がなくて言っていたとに時にめくじら立てておこったような態度をとっていたことが悔やまれます。
母は、いっとき私たち家族と同居したこともありますが、現在は一人暮らしです。すぐ近所に私がいて、朝と夜はご飯の支度をして、昼間はデイサービスに行っています。
・ガスコンロでお鍋を焦がすことがあり、火事になってはいけないとIHコンロに変更。・・・(一回の焦げだけで危険だと判断したため)
・大好きだった運転をやめさせ、車を処分。・・・(高齢者事故多発していたため)
・家の固定電話を無くし、携帯(ガラケー)番号は、家族と一部の身内のみの公開・・・(オレオレ詐欺防止のため)
・お金の管理を私が行う。・・・(証券会社の言いなりになっているように見えたため)
・杖を買う・・・(転倒防止のため)
・手すりをつけた(玄関・トイレ・浴室)・・・(圧迫骨折をして不自由な時期があったため)
これらは、後先がどうなるのかの不安解消にはなりました。ただ今振り返ると一部は他人を巻き込むこともあるからやめさせて正解だったけど、母にとってそれが良かったことだったかは疑問です。
よく子育てには正解がないと言われますが、介護にも正解がないのです。
過去の話に戻りますが、診断を確かなものにするため、病院も一軒ではなくセカンドオピニオンにも頼り、プラス認知症外来や、大学病院の脳神経科で頭の(スキャン)検査をしたり。。。あの頃は、介護資格も取っていなかったので、本当にイライラすることばかりでした。今思えば知らないことを手探りでしていたせいで先が見えず不安になり腹が立っていたんですね。
そんなイライラすることも多くなってきた私は、意を決し、自分の母まーちゃんを彼女が亡くなるまでの一生涯介護しよう決意し、介護職に就くことに決めました。介護職の面接に行き、そこから初任者研修で基礎を学び、その後3年間訪問介護ヘルパーとして仕事しながら、まーちゃんの介護をしたのです。
はじめは、仕事しながら、介護なんて大変だろうと自分でも思っていました。
「介護x介護となって大変ねー」と労う言葉をかけてくれる人もたくさんいました。
たくさんの高齢者の気持ちに触れ、不自由になって介護をお願いすることになった経緯や、気持ちなどに触れることで見えていなかった大事なことを見ることができ、母の認知症という病気の特徴もわかってきて気持ちが楽になったのです。そこからは時間のコントロールだけうまく調整すれば全く苦でもなくなって、介護者としての自覚も出て仕事のやりがいもアップしました。
繰り返しになりますが、介護の基本を学んだことで高齢者の行動や気持ちがわかるようになり、何をした時どんなことが大変で、やってあげたらいいのかがわかるようになったおかげで、介護する私の方に不安がなくなり、まず、まーちゃんの失敗も可愛く見えて笑えるようになったのです。
「また同じこと言っているな」ってゆったり構えて時間をかけて笑って付き合うことができるようになったのです。
穏やかな性格の母が何もしないしいろんなことをすぐ忘れるけど明るく笑顔で感謝の言葉(気持ち)だけは忘れない娘が誇れる大事な姿勢でいてくれるのを忘れたくないから。そして近い将来確実に私も老いていき、何らかの人の手を借りることになるだろうけど、そんな時に母のようでいたいと思って記録できたらいいなと思ったからです。
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