前回、名高る歴史上人物がお香を好んで使っていたというお香黄金全盛期のお話でした。
<前回までの記事は、良ければチェクしてください🤗>
時代(とき)は流れて、【江戸時代】。徳川幕府は、265年もの長い間続くきます。かの徳川家康も先の信長、秀吉同様にお香に精通していました。
家康は、香木を収集をしており、現在まで家康の所持品の一部として保存されているようです。今も最高級とされている「奇南香(伽羅*)」を貿易をしていた他国に求めたという記述が残っているそうです。
*きなんこう(きゃら)と読みます。
そして、家康は、自らも薫物を調合していたみたいです。配合記録が残っているそうです。その配合記録、とても興味あります。正倉院に眠る「蘭奢待」*同様、一庶民である私が見ることは到底ないものとは思いますが、家康が好んだ香りがどんなだったのか香りを聞いてみたいと思わずにいられません。 *(らんじゃたい)と読む。正倉院宝物として収蔵されている貴重な大きな香木のこと。
そうしてくれたら私はサイコーハッピーです❤️」
のようなお願いをシャム国(タイ)国主宛にしていたそうです。かなりの「おねだりちゃん」。
職権濫用?! いいえ、上手に甘えることのできる当主は鬼に金棒。上手にそのあたりを使っていたからこそ、200年以上の徳川家繁栄につながるのかもしれません。あっぱれです。
松平家忠の日記である「家忠日記」には、こう記されてます。「家康、蘭奢待を切り取った」
さて、この頃は庶民の文化・芸道が盛んになり<香道>は楽しむ芸道として君臨していました。この頃、寺請制度がひかれお寺に所属するいわゆる檀家精度。それは住民監視、管理をお寺に任せるような役割だったそうです。このおかげもあり仏教儀礼が庶民に広がり、仏壇を各家でもち、焼香儀礼*が広がって行きました。お線香もこの時代に生まれました。
*「焼香」は、香料を刻んで炭にあてて直に燃やします。
→ お香が庶民の間に浸透していったのが江戸時代
次に文明開化の【明治時代】です。この頃から、お香の時代が衰退の一途をたどります。
政府が、「神道」を国教にすると「神仏習合禁止令」のもと、「廃仏毀釈運動」が高まり仏教が衰退。仏教が衰退するということは、深い関わりのあるお香も衰退(下降)してしまうのは避けられません。あの蘭奢待を最後に切り取ったとされるのが、明治天皇だそうです。明治天皇も上質な香りを好まれたのか、この時代にゆっくり香木を焚いて香を楽しむ時間と余裕があったものかはさておき、信長のような一種の権力誇示のような意図した目的があったのか、真実はわかりません。歴史の中の時代背景から考えると後者であったらドラマティック。
仏教が追いやれて、おまけに欧州文化はもてはやされ、アジア文化は益々衰退するばかり。
こうして香道の道狭くなりました。
- 落ち着かない日本の情勢、武家は困窮に陥り、寺は破壊される。
- 香料は東南アジアにあったので、手に入らなくなった。
ただこの頃、生き残りをかけた職人さんの技術革新?!のおかげか西洋の香水を用いたお線香が出てきたそうです。
そうして衰退していったお香は、さらに大正、昭和と戦争とともに底辺までいくわけです。
とにかく上質な香料がないのに、お葬式は増える。仕方なく安い煙がたくさんでる香料で作るお線香は、のちにも「煙い」という悪評にもつながるものとなってしまったのです。
そんな中でも、戦中、戦後とどうにか「香道」の流派を守り、お香業界を盛り上げていった先人の方々には頭が下がります。
昭和時代ー平成時代ー令和時代とゆっくり人気も上昇している「お香」です。
ちなみに平成時代は、ロハスブームといってアロマなどの香りに癒されるということが流行りました。いろんなことがある昨今でだからこそ、
が多くの方の目に止まってブームをもたらし生活に浸透していけばいいなとお香に魅せられたわたしは思います。
コメント